わたしを知るもの好きがたり

「わたしを知る」をテーマに自由に書いています。

ときたま、不意に訪れる 〜ヌーソロジー以前②

目の前の空間が私だという出来事。 

noosmonozuki.hatenablog.com

 とても衝撃的だったにも関わらず、私は何もしなかった。当時、精神世界という言葉さえ知らず、宗教色も全くない家で育ったので、起きていることが何なのかを考えることもできなかったというのが本当のところだ。ただ、いつもと違う、これはなんなのだ??と疑問を持つものの、誰かに相談するという気も起きず、そのまま放置した。いや、相談できなかったのだ。相手にどう思われるかを気にしたし、怖かったからだ。

そして忘れかけた頃、また不意にやってきた。2〜3ヶ月おきに、何の前触れもなく突然、それも短時間で終わる。ほとんど一人でいる時だが、他者と一緒の時もあった。
回数を重ねていくうちに、もっと違いを観察しようという余裕も生まれた。

一番長く続いたのは、20歳の時に起きたもの。
数人でお昼ご飯を買い求めに近くのスーパーへ向かうときに始まった。始まる時、私の意志など関係ない。今回は突然、「私は全く動いていない」という認識に変わった。微動だにしていないのに、景色は動いていた。歩いているはずなのに、私が歩いているという感覚ではない。世界の方が動いて、その鋳型に足がハマってるだけという感じだった。
たわいもない会話もしていたし、目的のお弁当も購入した。だけど、私は不動のまま、目の前が丸ごと動いているのを見ていた。