わたしを知るもの好きがたり

「わたしを知る」をテーマに自由に書いています。

1989年12月  〜ヌーソロジー以前①

『人神』に出会い、私のスピ放浪が終わった理由。それは、ヌーソロジーが私が過去に経験したことを文字化したものに違いないという直感が湧き起こったからだ。

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はじまりは1989年12月。16歳、高一のときだ(年齢がバレるが致し方ない!)。
美術部からの帰り、20時を過ぎていただろうか。この頃、岩絵の具を顧問がタダで使わせてくれて、日本画の真似事をして遊んでいた。 膠の扱いに手間取り、遅くなることも多かった。駅から自転車で家路を急ぐ。丘を越える坂道は、自転車を押して歩き、登り切ったところで信号が赤に変わり、足を止めた。
ふと振り返って右後方を見上げた。オリオン座が昇り、ベテルギウスシリウスプロキオン冬の大三角形が見えた。子供の頃から私が一番好きな星空だ。小学生の頃は星座早見盤を片手に夜空をよく見上げた。冬の夜空は澄んでいて、星はくっきりと存在感を示していた。「ああ、またこの季節が来たんだな」と思い、身体を前へ戻すと、目の前の風景が一変していた。
目の前が私だった。
目の前の北側の空と眼下の家々が私になっていた。
右脇に自転車を支えて立っているという感覚もあるのだが、でも私は目の前の空間そのものになっていたのだ。
どのくらい時間がたったのか分からないほど圧倒された。我に返ると待っていた青信号が点滅し赤に変わった。時間にしてたった1分程のことだ。しかし体感はもっと長く、なによりその光景の感覚はとても鮮烈で30年以上経った今でもはっきりと覚えている。