わたしを知るもの好きがたり

「わたしを知る」をテーマに自由に書いています。

2015年 〜出会い以後②

2002~3年のレクチャーを受けた後は、『光の箱舟』やブログcave syndromeを読んだりしてヌーソロジーに触れてきた。

しかし、何も変化はなかった。自分の経験を文字化したものに出会ったということに満足してしまっていたというのもあるだろう。ちょうどその頃私が喘息を発症して生活することそのものに焦点を当てざる得なかったというのもあると思う。
でも今振り返って1番の原因だと思うのは、ヌースの内容を頭でわかったつもりになっていたということ。本を読んでいるときだけ、その世界に浸って頭でわかったつもりになる。これについては後日書ければと思う。

私の中でヌーソロジーとの関わりを見直すきっかけになったのは、2013年の渋谷レクチャー第1回に参加したときのことだった。開始を待っているところ、私の後ろほうで半田さんが初対面らしい女性に話しかける声が聞こえた。具体的なセリフは忘れてしまったが、どうやら半田さんには、その女性がψ5どころかψ7まで理解しているように見えるらしく、「理解されてるのでは」と尋ねて確認しているような内容に聞こえた。二人は歩きながらだったので、そこまでしか聞こえなかったのだけど、衝撃を受けた。ψ5とかψ7を相手が理解してるかどうか、半田さんは見た目でわかるの?!話の前後はわからないし、私にそう聞こえたと言うだけで、実際はわからないが・・・。
それと同時に、話しかけられなかった私はやっぱり理解できてないんだな、自分でもわかってるけど・・・と考えて落ち込んだのだ。う〜ん、めっちゃルサンチマン!!
その日のレクチャーは気もそぞろで終わった。そして、引越しで東京は遠くなったし通うのも大変・・とかなんとか自分に言い訳を言って、通うのをやめてしまった。

しかし、これがきっかけで思い出すことができた。何のためにヌーソロジーに出会ったのか。高一からのあの出来事のことを知りたかったからじゃないかと。他者と比べてるなんて、何やってんだと気づいたのだ。

それから、ヌーソロジーとの向き合いかたを変えた。円心やNC(ヌースコンストラクション)の理解を生活にとりいれようと試みた。トイレや歩いているときは、このことを考える時間になった。自分の意識の位置が無限遠点にあるとはどういうことか、無限遠点ってなんだと考えるようになった。実際に動いてもみた。ボールを片手にぐるぐる、自転したり公転したりを繰り返した。公転だけするのと、自転しながら公転することの違いをはじめて知った。パートナーに真ん中に立ってもらって部屋の中をぐるぐるしたこともある。とにかく目の前の空間に焦点を当て続けたのだ。

そして、2015年はじめ、突然、ハッとして気がついた。ようやくあの時の感覚を取り戻すことができた。そして、再び出会えたことに号泣した。待ち望んだ再会だった。向こうも待っていてくれていたんだとわかった時の嬉しさは、今でも忘れられない。

これがψ3の感覚化だ。昔と違い、能動的に思考した結果、辿り着くことができた。